

27号 平成20年5月
「奇跡は偶然から生まれるのではなく、必然から生まれる」
『奇跡は「偶然」から生まれるのではなく、「必然」から生まれる』 |
コーチ 遠藤 貴久 |
選手権と総体の全国優勝5回、準優勝3回という清水東高サッカー部日本一の歴史からすでに18年が経過し、「全国制覇」はまさに悲願であります。一方、静岡県勢の優勝もここ10年間ありません。全国的な高校サッカーの底上げ。多くの有名私立高校は人工芝G など施設を整備し力をつけ、Jクラブと全日本ユースが創設され、この20年の間に高校サッカーを取り巻く環境は大きく変化しました。清水東高サッカー部の全国制覇は、もう奇跡的なこととなっているのでしょうか。 私は27年前、高橋良郎監督がキャプテンとして出場された総体(愛媛) の全国優勝、そして夏冬2冠を目指した選手権全国大会決勝戦VS古河一高との死闘をテレビで見て感動し、清水東高サッカー部に入部しました。しかし、いざ入部してみると優勝して当という周りの目。「全国で勝つより静岡県で優勝することの方がはるかに難しい」という時代、そんな定説も日本一へのプレッシャーから逃げる口実。輝かしいサッカー部に入ったつもりが、日々悲壮感の漂う、辛く厳しい現実でした。そんなサッカー部で過ごした3年間の中で、今も強く印象に残っているのが、私が2年生の時に草薙球技場で行われた清水東VS東海大一(現東海翔洋高)の選手権静岡県大会の決勝戦。清水東は全くペースをつかめず、試合は1-2のまますでにロスタイムを経過。私はベンチでいよいよチームの負けを覚悟していました。正直明日からの、また辛く厳しい練習が頭を過った瞬間、ハーフウェイライン付近それも右サイドの隅にいた当時3年生の望月哲也先輩が、通常では決してシュートを打つような場面では無い、今思い起こしても考えられないような所から蹴ったボールが、50m余の孤を描き相手ゴールに吸い込まれました。当時「3秒前の奇跡」と称されたそのシュートはまさに信じがたいゴールとして私だけではなく、当時の多くの人々の記憶の中にも刻まれていることと思います。 これまでの輝かしい戦積の裏には、おそらくそうした多くの奇跡ともいうべきプレーがあったのだろうと思います。高校時代の私の記憶にもう一つ残っていることが、先輩達の普段の練習に取り組む姿勢の高さでした。練習中、何度となくそのプレーに感動し、1年生ながら声をだそうとしなくても自然に声が出てくるほどでした。前述の望月哲也先輩のプレーには、練習中ですら何度も鳥肌が立ったのを覚えています。そして、当時すでに全国区のスター選手だった先輩達が、皆ひたむきに自主練習に取り組んでいました。当時の勝洋要監督が教えた「サッカーは格闘技だ」という言葉は、単に相手に勝つ厳しさだけでなく、自分との闘いに勝って己を厳しく鍛えることであり、その伝統は文武両道とともに、今も選手達の中に脈々と受け継がれていることと思います。どんな有名選手が揃っていても、結局勝てないチームは多くあります。日本一の練習をやったチームが日本一になる。偶然だけでは、決して3秒前のシュートを決めることはできません。普段の練習の中で、厳しく、高い意識を持って努力したこと。決してたまたまでなく、それまでに積み上げてきたもの。そうした目に見えないものの積み重ねが、信じがたい奇跡を起こすのだと今でも強く信じています。 清水東高サッカー部が昔も今も悲願である全国制覇達成のため奇跡を起こすべく、私自身、微力ながら高橋監督のサポートをさせていただき努力していく所存です。 |